遠征の背景
2017年及び2019年に日本柔道マスターズ協会有志によるラオスとカンボジア両国へ遠征団が送られた。それ以降コロナ禍の影響で中断されていたが、今般10名ほどのメンバーで1月25日より2月1日まで両国で3回目の巡回指導を行ってきた。
遠征先がラオスとカンボジアになったことにはいくつかの背景がある。ラオスは今回の遠征再開のイニシアチブを取ってくれた協会監事の坂東雅邦さんがかつてJICA派遣で現地の日本武道館の運営に関わったことや同じくJICAのシニア・ボランティアを皮切りにラオス柔道指導に長く関わってきた菊池正敏さんをはじめとする数人のシニア・ボラティア等がラオス柔道を指導してきた歴史がある。カンボジアについては、筆者が20年余り前のカンボジア勤務時代に柔道をしていたことから、昨年5月にカンボジアで開催された東南アジア競技大会( SEA Games「シーゲーム」とよばれるASEAN地域のオリンピック大会のようなスポーツ祭典)の柔道においてカンボジア選手がメダルを獲れるように強化育成して欲しいとカンボジア柔道連盟や同国首相からも頼まれた経緯がある。ご存知の通り、カンボジアは1970年代後半のポルポト政権時代を挟んだ長い内戦を経験したうえに、JICAから派遣された青年海外協力隊柔道指導者の数も極めて限られていたことから、柔道競技ではASEAN10カ国の中で最下位のレベルにあった。短期間でメダルを取れる選手を育成するのは大変な難題ではあったが、筆者は濱田初幸先生と中村美里先生にお願いして約8ヶ月間の厳しい強化練習を指導していただいた。選手たちも濱田先生の厳しい指導に耐え抜いて幸い複数のメダルを獲得して好成績を納めたが、東南アジアの他国の柔道はレベルが向上していることから、まだまだカンボジアには底上げが必要であると考えられていた。
なお、遠征の団員は10名ほどであるが、これらの中にはかつて両国を回った経験者も複数おり、この地域の柔道に関心や愛着を持っている人たちである。中でもラオス部分に参加した菊池さんは、現地で我々に多くのガイダンスを与えてくれた。坂東さんは残念ながら参加できなかったが、以前からカンボジア柔道応援団の事務局長をも果たしてくれており、旅行全体をしっかり見守って支援をしてくれた。今回も横浜市柔道協会や井上康生先生の主宰するNPO・JUDOsからの約80着もの柔道衣寄贈があり、我々が段ボールを分担して運び、各地で寄贈式を行った。
ビエンチャンにおける日本武道演武会
今回の遠征は、ラオスの首都ビエンチャンで毎年行われる日本武道館での演武会に合わせて実施された。この日本武道館は2009年に日本のODAで建設され、現在はラオス柔道連盟が運営管理している施設である。日本武道演武会は毎年日本大使館主催で行われる重要行事で、本年が第21回大会であった。日本の小林大使がラオス語で挨拶をし、ラオス教育スポーツ省高官や空手、合気道、柔道、剣道連盟の会長などが熱心に見守る中で、4つの団体がこの順序で多彩な演武を披露した。演武者数は空手がおよそ45名、合気道と柔道はそれぞれ約60名、剣道が7名ほどであったが、いずれも青少年と大人の混成で一部に現地在住の外国人も加わっていた。演武内容は各団体がいくつかのグループに分けて展開されたが、中には日本でも目にしないようなものもあって、日本の武道が現地で新たな発展をしていることを知って興味深く感じた。我々遠征団からは鈴木常夫7段とソリドーワル・マーヤ4段(津田塾大准教授)が固の形を、菊池正敏7段と鈴木常夫7段が五の形を演じたが、会場が静まり返り凛とした雰囲気の中で日本からの専門家による形の演武を食い入るように観ていた。
日本武道館の観覧席は多くの観客や選手たちの家族でほぼ埋まっていた。演武会終了後に柔道未経験者の多くの若者が畳に上がり、技の掛け方などを選手たちに聞いて試してみる姿があちこちに見られ、今回の行事が柔道等への関心を高めたことが窺えた。日本の武道がこうしてこの国で多くの人々に親しまれているのを見るのは嬉しいことである。日本が建設して寄贈した武道館は多目的に活用されており、武道を中心とした活動の拠点として素晴らしい役割を果たしている。
ラオス・カンボジアでの指導と柔道を通じた交流
今回の遠征は短期間ではあったが、主目的はラオスのビエンチャン、カンボジアのプノンペン及びシェムリアップの3都市で形の指導を行うことだった。乱取りや補足的な技の指導もしたが、形を中心に行ったのは自国での昇段審査能力を高めたいという先方の要望に沿ったものである。海外を見ると、多くの国で形に対する関心が強く、形の稽古に励み競技に出場する者は多い。形に関心のある人の柔道人口中の割合は、感覚的には日本より相当高いように思える。今回の3都市においても青少年を含め我々の形指導者の説明に皆熱心に耳を傾けて学ぼうとする姿勢が強かった。ただ、現実には、形の個々の動き方や理合いを十分習得している者は少ないので、鈴木、ソリ・ドーワル両先生は説明を繰り返しながら反復練習を主導した。我々一行の誰もが若者を含め現地の人たちの柔道を学ぼうとする姿勢の真摯さに大いに感銘を受けた。
各地で現地の柔道関係者と懇談や交流のための会食を行った。ビエンチャンでは現地のピラバンデト柔道連盟会長が日本在住経験がある有力な事業家でもあり、我々一行とラオス人や外国人柔道関係者を一緒に大きな私邸に招いてくれた。会長と我々の間で話が大いに弾み、また現地事情の一端も知ることができた。プノンペンでは昨年のシーゲームの柔道競技での好結果のため柔道を学ぼうとする若者の数が増えたそうで、約60人が熱心に我々の指導に参加した。リー連盟会長も柔道衣姿で畳に上り、ビボル監督やコーチらが号令をかける中で、選手たちは汗を流しながら熱心に稽古をし、我々の形の指導を学ぼうとした。終了後、我々の方でカンボジア柔道連盟の幹部やナショナルチームのコーチを招き懇談した。昨年のシーゲーム後の現地の状況の確認や意見交換を行うことができた。シェムリアップでは、我々の指導に10歳から20代までの30名ほどが参加し、2日間にわたり我々指導陣の個別指導も受けながら生真面目に反復練習を繰り返した。ここでも練習のあと後述する道場運営者及び主要な選手たちとの懇親夕食会を開き、各人が自己紹介をしながら柔道に対する想いを語った。
ところで、この道場については特別の由来があるので付言したい。ここには以前から「アンコール柔道場(アンコールやわらどうじょう)」が存在した(今回の遠征に参加した複数のメンバーもこの旧道場を訪ねている)が、狭い危険な場所で稽古をしているのを見て道場建設を目指して奔走した結果、幸い筆者の大学の柔道部の同期生で会社経営者の市橋敬男氏が道場建設費を全額負担してくれ、2020年に完成した新しい立派な道場である。道場の完成後は全柔連からの畳の寄贈を受け、NPO・JUDOs等が柔道衣等を寄贈するなど日本から各種の支援を受けてきた。この道場では、かつて山下泰裕先生が運営していたNPO法人(旧)「柔道教育ソリダリティー」のコーチングセミナーで研修を受けた若手のソピー先生が指導をしている。道場は、現地在住で貧しい子どもたちを含めた青少年に日本語や日本文化を教えている日本人婦人の鬼一二三先生が運営する「国際日本文化学園」の敷地に建てられた。道場管理は鬼先生にお願いしていることから、清潔に維持され、また各種の武道や文化行事にも活用されている。ここではだれも礼儀正しく謙虚で、お辞儀をする姿も美しく、鬼先生の指導の様子が偲ばれる。今回の遠征には道場寄贈者の市橋社長も参加し、この道場で青少年が礼儀正しく熱心に柔道に取り組む姿を目の当たりにして大いに喜んでくれた。
むすび
筆者は柔道が世界の隅々まで浸透し嘉納師範の教えを懸命に学ぼうとしている人たちがどこにもいることをみて、日頃から「柔道は世界の無形文化遺産」だと感じている。時間的にも地域的にも限られた今回の遠征でもこのことを改めて感じることができた。今回の遠征参加者からは、交々に「子どもたちの柔道に対する姿勢が積極的で吸収意欲も強く感動した」「柔道に対する尊敬の念を持っているように感じた」「親から言われてやっているのではなく一途に練習する姿に感銘を受けた」「この子達が大人になった時、日本の文化を理解して活躍してほしいと思った」「子どもたちは大人しく控えめだが稽古には熱心だ。しかし、控えめさから脱却してもいい」「子どもたちの身体のしなやかさや俊敏さが印象的だった」などの感想が述べられた。こうした感想はラオスやカンボジアの国民性もあろうが、柔道が稽古を通じてこの地域の青少年にしなやかに良い影響を与えていると見ることもできる。
日本マスターズ柔道協会会員をはじめとする柔道に関心のある個人の柔道家、大学や企業の柔道部、各種柔道関係団体が、今後とも柔道を通じた世界との交流に一層積極的に参画していただけることを心から願っている。
(遠征団団長) 小川郷太郎
(今回の遠征参加者リスト)小川郷太郎、井田幹夫、市橋敬男、菊池正敏(ラオスのみ)、鈴木常夫、井上数夫・照子夫妻、ソリドーワル・マーヤ、棟方尚登、高橋緑、田仲正典