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概要

masters2019

会報 <日本マスターズ柔道> 2019年1月9日9まれ、緊張ため頭の中が演武中に真っ白になり、後半ぺースを乱し、息の合わない部分が出たのが原因でした。また、初挑戦となった『極の形』部門でも、大きなミスをおかしてしまい、点数を半分減点されたのがひびいて大失敗してしまいました。完全に稽古不足でした。今回の愛媛大会は、気合、稽古量ともに充分で挑んだのですが、やはり、大舞台での本番一発勝負に不安と緊張が入り乱れ、前日の奈良県から愛媛県までのマイカー移動の間、車内ではお手本ビデオを流しっぱなしにし、運転者は観ることができないのですが、音声だけでも聞いて不安を少しでも取り除こうとしたものでした。また、深夜に到着した松山での宿では夜中何度か起きてしまい、ふとんの中でこっそり、スマホで日本代表ペアの演武動画を観るという行動をしていました。気がつくと相方が隣に寄ってきて一緒に観ていたのには驚きました。翌朝の本番当日、早めに会場に到着した私たちは、会場の外で『極の形』を反復練習していました。今思い返すとかなりおかしく変な人になっていたなと思い、笑いがこみあげてきます。会場に入るとやはり前回大会でライバルであった香港ペアがいました。緊張はマックスに達しましたが、今回はこの緊張感が良いほうに身方し、意外と落ち着いて演武ができました。小さなミスは少しありましたが、なんとか『固の形』で優勝、『極の形』で二位と自分たちの中では最高の結果が出せたと満足しています。特に、『極の形』では全日本四国地区代表の金藤先生、溝渕先生ペアと同じ舞台で競技させていただけたことをとても光栄に思いました。今、振り返ればこのベテランズ大会の魅力は、参加者の皆さんがきれいに輝く金メダルを目指し挑戦することはもちろんのこと、それ以上に同じ志を持った日本全国だけでなく世界各国の柔道愛好家と交流を深め、共に闘い、共に汗をし、そして、次大会に向けまた己を磨き修行するというこの素晴らしさに気付かせていただくこと、これに尽きると思います。最後に、南埜先生、相方、理解を示していただいた我が道場の師範をはじめ指導者の先生方、家族に心から感謝し、次の福井県大会に臨みたいと思います。マスターズ柔道大会で夢の実現へ奈良県 木下 朋俊(固の形・優勝・極の形・準優勝)マスターズ柔道大会に参加することは、長年の夢でした。その夢が二〇一七年の白浜大会でついに実現し、初出場ながら形競技二種目と個人戦で合わせて三つの銅メダルをいただくことができました。紆余曲折の柔道人生の中で、これほど嬉しいことはありませんでした。千葉大学柔道部を参段で卒業したのは三十年以上前のことです。その後は小学校教員を拝命し、細々と柔道の指導に関わらせていただいたものの、試合や昇段とはずっと縁のない生活をしていました。転機が訪れたのは四十歳を超えてからでした。大恩ある先生から、参段のままで止まっていた段位を「指導者としてそれではいかん」と気にかけていただき、昇段のために「奈良県段級別選手権」への出場を勧められたのです。試合は年齢体重無差別のトーナメントでしたから、六十㌔そこそこの体で二十代や三十代の重量級とも対戦しなければなりません。無理がたたって試合中に骨折をしてしまいましたが、運よく全試合一本勝ちで優勝することができました。その実績から四段に推薦していただき、二十年ぶりの昇段を果たしました。そんな折にマスターズ柔道大会のことを知ったのです。「もっと強くなってメダルを取りたい。」柔道に対する熱い思いが再燃しました。とは言え、私が指導する道場には小学生が数名通っているだけです。教員という激務の中では、出稽古に行くこともままなりません。そこで私が自宅で取り組んだのが「十分間連続一人打込」です。調子に乗ると三百回近くこなせました。このことが試合での自信につながりました。「おれは十分間技をかけ続けることができる。負けるわけがない。」激戦区、M5・六十六㌔級でのメダル獲得は本当に価値のあるものだと思っています。また、今から五年前のことです。指導者仲間同士、酒席で語り合っている時に、奈良県柔道連盟の副会長であられる梶谷登先生から、「先生たち、コンビを組んで形をやってみないか?」と声をかけていただきました。その一言が形競技に取り組むきっかけでした。八歳歳下の奥村和之先生とは実の兄弟以上に息の合ったペアとなりました。何よりも恵まれたことは、形競技の第一人者であられる南埜千賀先生が私たちの師匠になってくださったことです。覚えの悪い私たちに南埜先生は根気よくご指導くださいました。形競技においてもマスターズ柔道大会は大きな目標となりました。白浜大会では「固の形」と「極の形」の二種目で銅メダルをいただきました。そして、二〇一八年の愛媛大会。「もう同じ色のメダルはいらない」と、個人戦の出場を見合わせ、形競技に絞って出場す