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概要

masters2019

8会報 <日本マスターズ柔道> 2019年1月9日の勲章を、戦艦大和乗員の子孫である自衛隊同期から頂いた東郷神社のお守りと共に仏壇に納めました。そして日露戦争について興味を持ち、知識を深めていきました。 松山市は日露戦争で活躍した軍人、秋山好古・真之兄弟の生誕地です。私は彼らをとても尊敬しています。そのため、マスターズ愛媛大会は私にとって戦士としての巡礼の旅であり、負けることのできない戦いとなりました。 飛行機で松山空港に降り立った後、恩師の今尾省司先生と相方の水谷と共に秋山兄弟生誕地を訪れ必勝の祈願をしました。 翌日の大会当日、私は東郷神社の必勝のお守りを握っていました。先祖の兵士に祈願し、秋山兄弟に祈願し、そして手にはZ旗をあしらった必勝のお守り。これ以上の武運が有り得ましょうか!満を持しての演武の結果、晴れて優勝することができました! 大会終了後、今尾先生と相方の水谷と共に再び秋山兄弟生誕地を訪れました。秋山兄弟は柔道家でもあり、敷地内には立派な柔道場がありました。館長様から特別に許可を頂いて道場に上がらせてもらい、秋山兄弟に優勝の報告とお礼をしました。 岐阜に帰ってから、花村家の墓前で優勝の報告をしました。そして私に勇気を与えてくださった先祖の兵士に、百年の時を越えて感謝しました。子供たちに夢と希望を岐阜県 水谷 八尋(投の形・優勝)「水谷先生、優勝できるように頑張ってください!みんなで応援してます!」 演武が始まるとき、私は地元の子供たちの言葉を思い出しました。優勝メダルを持ち帰って、子供たちに夢と希望を与えたい。 三年前の夏、中学時代の柔道部員一同で、恩師であり「極の形」の世界チャンピオンである今尾省司先生の還暦祝いの会を開きました。その日、私は中学時代からのライバルで親友でもある花村と再会しました。「なあハナ、もう一度柔道せえへんか?マスターズっていう大会に出て優勝狙おうぜ!」 その言葉が私達の始まりでした。間もなくして花村が柔道に復帰し、私と共に地元の各務原市柔道少年団で子供たちに柔道を教えるようになりました。 子供たちに柔道を教える一方で、私達は今尾先生のご指導のもと「投の形」の稽古に励みました。形において「理合い」がいかに大切かを今尾先生から教わり、理合いを追求した稽古をするように心がけました。 そして一昨年、和歌山県で行われたマスターズ柔道大会に初出場しました。満を持して出場しましたが、4位という悔しい結果に終わりました。その悔しさをバネにしてさらに稽古に励み、一年の歳月を経て再びマスターズの晴れ舞台に上がりました。張り詰めた空気の中で、子供たちの声が脳裏に響きました。 優勝が決まったとき、子供たちとの約束を果たせたような気がして、ほっとしました。 岐阜に帰り柔道少年団の子供たちに優勝メダルを見せると、みんなキラキラと目を輝かせながら大喜びしました。 その後「水谷先生のようになりたい!」といって沢山の子供たちが形の稽古を始めました。子供たちの真っ直ぐな目を見たとき、夢と希望を与えられたのは実は私のほうだったのだと気づきました。白浜大会での忘れ物をとりに愛媛へ―固の形で優勝 極の形で準優勝―奈良県 奥村 和之右から二番目が筆者私が日本ベテランズ国際柔道大会に出場したのは、前回大会の和歌山県白浜大会からで、私の形の相方である木下朋俊先生よりのお誘いがきっかけでありました。平成二十八年十二月より、この大会に向けて初めて『極の形』を稽古し、普段稽古を行っている『固の形』と二種目にエントリーして挑むことにしました。しかし、どちらの部門も普段の自分たちの実力を出すことができず、ミスを重ね、どちらも三位と入賞はしたものの、反省と悔しさが残る結果となってしまいました。次の大会が愛媛県で行われると知ったときに、相方と私は「和歌山での忘れ物(金メダル)をとりに行く」を合言葉に参加を決意しました。ところが、『固の形』で奈良県代表の私達は、同時に全日本形競技大会の出場を大きな目標として日々稽古に励んでいるのですが、愛媛大会の日程がこの全日本の近畿代表選手選考会と重なってしまいました。形の師匠である南埜千賀先生と相方とで相談した結果、苦渋の選択ではございましたが、「ベテランズでの忘れ物をとりにいく!」という私達の考えを尊重していただき、今大会への参加を決めました。和歌山大会では『固の形』の部で地元和歌山ペアに大差をつけられ惨敗し、また、香港チームには0.4点差で敗れるという結果におわりました。これは初出場のため、これまでに経験のない大きな大会の雰囲気にの