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概要

masters2019

会報 <日本マスターズ柔道> 2019年1月9日23中から、日本ベテランズ国際柔道大会に出場する選手が多く出て、一緒に試合を楽しむことができることを望んでおります。最後になりましたが、柔道を始めるきっかけをつくってくれた父、柔道を指導してくださった高校時代の恩師・袖山雅雄先生、大学時代の恩師・重松裕之先生、吉田秀彦先生にこの場を借りて、感謝申し上げます。おかげさまで、柔道が好きで続けております。6回目の松山で連覇途切れる。来年は家族を連れて来よう!青森県 髙橋 俊哉(M6・100㎏)グで小外刈を合わされ、あえなく一本負け。6連覇の野望は瀬戸内海の藻屑と消えたのでした。去年は最年長、今年は最年少という気の緩みか、はたまた試合前日、観光なんかにうつつをぬかしていたバチが当たったのか、いやいやなによりも家族を連れてこなかったのが最大の敗因、次回大会には土下座をしてでも家族に同行を頼むことにしよう。 松山の皆さん、ありがとうございました。中高年の元気で若者に刺激を与えたい!大阪府 船田 直仁(M5・60㎏) この度、日本マスターズ柔道協会様より会報の原稿依頼があり驚きとともに嬉しい気持ちで一杯です。一昨年の白浜大会出場で五回出場となり、昨年の愛媛大会にて五回出場の表彰をしていただきました。都合、六回連続出場している私ではありますが、これも自らの努力以上に周囲の方々の励ましや御指導のお蔭だと実感しております。 私が柔道を始めたのは、中学校の部活動からであり、体格にも恵まれず負けてばかりの少年でした。高校入学後には、他の部活動も考えていましたが、中学時代に一緒に汗を流した仲間の誘いもあり柔道部に入部しましたが、中学時代とは比べものにならない稽古内容で直ぐに初段を取得出来たのですが、大した成績を残すことも出来ずに高校卒業とともに柔道とも無縁な学生時代を経て社会人となりました。 そんな状態で体重も増加し健康診断の結果を見るのが辛い四十代も半ばに差し掛かった頃に、たまたま高校時代の柔道部OB会が行われ、酒の勢いも相まって「たまには道着を着て暴れたい」という流れになり、OB会主催の練習会が定期開催される様になりました。 母校は既に統廃合され柔道部もなく、道場を確保出来ない状態でしたが、こんな事情を理解 6年前、50歳になったのを期に、噂のマスターズ大会に僕も出てみようと思ったのは、講道館で開催された10回大会でした。その時は、なぜかとても調子が良くて4試合すべて一本勝ちで優勝してしまいました。勝ったのももちろん嬉しかったのですが、皆さんが本当に柔道が好きで、柔道をこころから楽しんでいるといったマスターズの雰囲気がとても新鮮に感じられました。こんなことを書いてはお叱りを受けそうですが、昇段の点数を気にしている方々が少なくない高段者大会とは違った、勝負にかける一種の潔さみたいなものを感じたのでした。 以来、講道館、佐賀、講道館、和歌山と、青森から妻と同行したり、東京に住む娘たちと現地で合流したり、言ってみれば家族旅行の口実にマスターズ大会を利用し、佐賀の嬉野温泉でのんびりし、和歌山の南紀白浜ではパンダを見たり熊野古道を家族全員で歩いたりして、気がついたら5回の連続出場と相成りました。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、マスターズには出続けてはみよ」ということでしょうか、毎回参加しているうちに幾人かの知り合いも出来て、会場入りするのが一層楽しみになり、妻に至っては何人かお気に入りの選手までできる始末です。 今回、6回目の出場となった愛媛を訪れるのは学生時代の合宿以来、実に34年ぶりです。学生の頃は合宿でずいぶんいろいろなところに行ったのですが、一切観光はなく、愛媛松山で記憶に残っているのは道後温泉ぐらいです。ということで、大会前日、路面電車に乗って道後温泉に行ってみたら、当地はインバウンドの誘致に激しく成功しているらしく外国の方で溢れていました。これはだめだと、早々に温泉は諦めて、徒歩、松山城を目指しました。当地松山は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の舞台、秋山兄弟や正岡子規が坂を登りながら見上げた雲はあの雲かと、ひとり感動しながら登りきった城山、そこで待っていたのは瀬戸内海に沈む夕日でした。 翌大会当日、今年からは年齢カテゴリーが一段階上がりM6・100㎏のエントリーです。1回戦のお相手はイギリスのエバンス選手。審判の始めの合図とともに組み合い、すかさず内股をかける。エバンス選手全く崩れず、それではと巴投げに行こうとした瞬間、絶妙のタイミン