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概要

masters2019

会報 <日本マスターズ柔道> 2019年1月9日19私が最初にマスターズに出場したのは平成二十三年第八回千葉大会でした。当時、醍醐先生に古式の形をご指導いただいておりましたが私の相手をして頂いていた毛利先生から誘われたのがきっかけで形の部の「古式の形」に出場しました。古式の形を習っていた先生方の多くがマスターズの会員でマスターズ創立にかかわっていらっしゃいました。 その後、小池先生から警察関係の方々を紹介して頂き、団体戦にも二回ほど出場することができました。講道館で開催された平成二十五年第十回大会では、私が一本勝ちをすれば準決勝進出が決定する状況でしたが終了間際に大矢先生の巴投げを食らい優勢負けで破れてしまいました。マスターズは参加することも重要ですが私の中では仲間と親睦を深めることの方が更に重要だと考えています。前年度の白浜大会では東京から浜松、伊勢、志摩、吉野と回り、宿舎では酒を酌み交わし楽しい時間を過ごすことができました。これに味を占めて今年度の愛媛大会では五回出場を果たし、該当者三十八名を代表して賞状を頂きました。また、初めて個人戦に出場しましたが見事に1回戦負けでした。それよりも松山城見学や夜の懇親会が思い出となっております。来年度の福井大会の計画も名幹事のお蔭で着々と進んでおり、今から楽しみです。日本マスターズも若い参加者が増え喜ばしことではありますが、世界柔道連盟の影響を受けて設立の理念とは違う方向に進んでいるようで心配です。私は、生涯柔道を目指していますので畳に立てること、そしてマスターズに出場することを長生きの糧にし、無理をせず健康に留意して十回出場を目指します。第15回愛媛大会について滋賀県 田村 省一(M7・100㎏)「あ~っ、また柔道に助けられた。」そんな思いを強く感じた大会でした。人生も終盤に差し掛かかってきて、勿論、仕事は一生懸命していますが、日常生活は、たまにゴルフに行くくらいで、これといった趣味もなく、物欲も薄れ、漫然とした日々を過ごしていました。そんな時、ふと思い出したのが、マスターズ柔道大会でした。以前から存在は知っていましたが、60歳還暦の記念に、「よし、挑戦してみよう。」と思い立ったのです。実は、私は介護の仕事をしているのですが、周りの高齢者の方々に、歳を重ねても、諦めない心や、挑戦する気持ちを持ち続けてもらうために、自ら実践しようという思いも重なりました。そして同時期に、自分の練習環境に理想的な場所、瀬田柔道会さんと出会うことができたのも、これがご縁というものでしょうか、私を大きく後押ししてくれたのです。私と柔道の本格的な始まりは、高校時代、入学後すぐ左組に変え、二年生、三年生の時に、大阪代表で国体に無差別級で出場させて頂きました。私は、山下君と同期ですから、あの当時、山下、松井、吉岡の三羽烏と言われた猛者達が、高校柔道会を席巻しておりました。沢山の思い出があります。その後、大学、実業団と進み、レギュラーとして試合に出場し、実業団では、全日本実業団一部で上位入賞を数度果たしましたが、個人タイトルは高校時代以来、42年ぶりになります。長い人生、柔道はもういいと離れた時期もありましたが、やっぱり柔道が好き、柔道に支えられた人生です。私は、ご縁があって、タイ王国に、今まで二十数回訪問しているのですが、私の人生最後の夢は、晩年は向こうに住んで、タイの子供たちに柔道を教えたい。その為には、元気でいないと。練習の出来る体に感謝して、来年も連覇を狙います。団体戦で6回出場、マスターズ柔道大会に深い思い入れを感じるようになった兵庫県 藤波 徹(団体戦のみ出場)筆者左側私がマスターズに初めて出てから(第10回講道館)もう6年が経ちました。出場したのは地元の安立俊二先生の強いお誘いがあったからです。当時、私は50代後半で某少年柔道の指導員をしていました。しかし、既に選手として衰え、試合をやめようと思っていたので、直ぐに返事は出来ませんでした。先生は、「勝敗よりも、そこに出ている人達と知り合う事で人生が豊かになれる」と言われました。「もう全然強くないので」、と引きましたが、お酒の席で飲んでいるうちにいつの間にか「試合に出る。」と言っていました。