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概要

masters2019

14会報 <日本マスターズ柔道> 2019年1月9日ました。毎年、大会の1、2ヶ月前から鈴木道場の仲間と共に減量し、週二回の、短時間ですが、内容のある練習を重ね、試合に挑むのも6年間続いた訳ですが、大会に対するモチベーションを維持するには、真剣勝負の試合とは別に、第10、11、13回の講道館、第12回の佐賀、第14回の白浜、第15回の松山といろいろな地域で開催されるのも魅力となっていました。会場に到着し何とか計量にパスして長時間の減量から解放されて、それぞれの名産をツマミに4人の仲間と飲む一杯のビールは最高です!6回目の出場となった松山大会個人戦で、念願の初優勝を飾ることができ、非常に喜んでおります。私はM7・66㎏ロの階級ですが、毎年、優勝者が入れ替わる本命不在の階級です。ある意味、誰にも優勝のチャンスがあり、誰もが一回戦敗退の可能性もある、そんな階級と思っています。これからも日々のトレーニング(ジョギング、筋トレ、ストレッチなど)を続け、軽量級の柔道なので、対戦相手よりスピードでまさる先手必勝の攻める柔道で、連覇を目指し、第16回福井大会に望みたいものです。最後にM7・66㎏級の皆さんと元気に福井で再会出来ることを楽しみにしております。頚椎損傷から復帰、生涯柔道を楽しみたい千葉県 須長 悌治(M9・81㎏) 会社を定年後、関連会社に勤務していた六十一才の時、高校時代に柔道部で一緒に汗を流した見瀬 輝夫氏(当時の講道館道場指導部長)と再会したのが、高齢者柔道を始めたきっかけです。誘われるままに講道館の大道場に立つと、足が畳みに着かず、足払いで簡単に一本というありさまでした。 二〇〇七年頃に、思いもかけずに醍醐十段から声をかけていただき、感激のあまりそのまま口伝会(古式の形の稽古研究会)に入会しました。週二回、醍醐先生にご指導をいただき、今年で十一年になります。 マスターズ大会は、第七回の新潟・長岡大会が初参加です。その時は「古式の形」と「M8・73㎏」に出場させていただきました。翌年第八回千葉勝浦大会では、「M8・73㎏」で優勝、「古式の形」で二位、「団体戦」で三位と、この大会では運良く、金銀銅の全てのメダルを獲得することが出来ました。 その後、頚椎損傷の大怪我をしてしまい、右半身が動かない重症でしたが、手術の後、リハビリに励んだ結果、今日では、健康時の七割位まで回復しました。 今年で七十五才になります。週二回程の稽古とジム通いでリハビリに励んでいます。 そして、当面の目標は、全国高段者大会と日本ベテランズ国際柔道大会に出場して、まず一勝することです。 地元の道場で、子供達に元気をもらいながら、怪我をしないで生涯柔道をこれからも楽しみたいと願っています。〈追記〉 第十四回和歌山白浜、第十五回愛媛松山と参加させていただきました。 今年は、福井とのこと、歳のせいか、開催地の名所旧跡観光を今から楽しみにしています。生涯現役をモットーに!兵庫県 安立 俊二(M8・100㎏)左側が筆者 平成30年5月の松山大会において、10回出場表彰を受けました。感激です。 私とマスターズ柔道大会との出会いは、兵庫県姫路大会でした。その時は、これが最初で最後の参加だと思っていましたが、その後、私の出身地である大分県で開催されたのをきっかけに、再度出場し、その後連続出場することになり、和歌山大会で晴れて10回出場となった次第です。 お陰様で、南は九州、北は北海道と多くの先生方と出会いました。特にマスターズ柔道大会で出会う度に、私にやさしく声を掛けてくれる東京の久保雅昭先生、そして、私が昭和51年3月に、九州柔道選手権大会(全日本柔道選手権大会)に大分代表として出場したとき、熊本県代表として出場していた上野清吾先生と出会ったこともすばらしいものでした。 私がマスターズ柔道大会への出場を重ねるうちに、同じ地区の柔道仲間に、「多くの先生方との出会いがあって楽しいから、マスターズ大会に一緒に出よう!」などと声を掛けていると、出場者が増え、現在、同地区から10数名の柔道仲間が出場するようになりました。 申し遅れましたが、私が柔道を始めたのは、東京オリンピックが開催された翌年の昭和40年4月で、高校生の時でした。 平成元年、勤務先の柔道部監督となり、同時に少年柔道教室(全日本柔道連盟に登録していました)を発足させました。そ