ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

masters2018

24会報 <日本マスターズ柔道> 2018年1月9日世界・日本マスターズ柔道協会 思い出の記日本マスターズ柔道協会 初代名誉会長 野口 宏水 二〇〇三年の第五回世界マスターズ講道館大会開催を機に、たくさんの柔道・武道愛好家のご支援を頂き創設した日本マスターズ協会の思い出は数多く限りないが、標題を上記として各大会のパンフレットや資料を出して読み始めたら、これまた沢山の思いが際限なく蘇り、限られた字数・ページ数では収らくなり、結局、次のようになってしまったことをご勘弁願いたい。 昭和十年(一九三五)生まれで戦前戦中戦後は文字通り「一億一心勝つまでは」とばかり一億総貧乏総我慢の連続だった。それが日本史始まって以来の敗戦で戦勝国の新しい文化に一転憧れ、九州佐賀・福岡の県境の脊振の山道を難なく登っていく進駐軍のジープにビックリ仰天、食べたこともない甘いチョコレートを貰っては「ヨシ!僕もアメリカへ行こう!」と 中学に入ってからは懸命に英語を勉強し、高校に入っては外交官になって日本のために尽くそうと努力したものである。この夢の実現のため、懸命に努力したものの、希望する東京外語大学は受け入れてくれず、方向転換して慶応大学英文学科に入学、勉強したものの九州の山奥出身として持て余した体力を発散すべく体育会柔道部に入れてもらい、二年より、清水・朝飛両師範と先輩同輩後輩の良きご指導を頂き、卒業初段を得て、先輩のご勧奨で当時の就職難時代に良い会社に入社させてもらい、ご恩返しとばかり仕事の傍ら懸命に魅せられた柔道に励み(実際に三井三菱京浜地区対抗戦を両グループの柔道愛好家と相図り創設した)、まだ渡航の自由化前の一九六一年、1$=360円時代に全慶応遣米柔道使節団の役員として参加したりしたものである。 これら少年時代よりの夢捨てがたく、会社も外資系保険会社アリコに転社、海外教育研修制度の普及のための海外出張の折にも、柔道着を携えてサンノゼ大学やUCバークレー、ハーヴァード大学…を訪問したものである。 更に、昨年他界された慶応柔道部三十年卒主将の宮崎 剛先輩より、一九九九年に世界マスターズ柔道大会がカナダにて開催されると聞き及び、既に「生涯柔道を通しての草の根外交」を標榜実践されていた丸の内柔道クラブの故水野会長を団長に、副団長として選手十一名 応援団十七名を編成、第一回世界マスターズ・カナダ・ウェランド大会に参加したのがマスターズ大会への第一歩であり、いまだにその緊張感と興奮は鮮やかに残っている。 その第二回カナダ最東端のノヴァスコーシア大会役員会に出席した折、「日本の柔道発祥の地である講道館の畳の上に一度は立ちたいという世界の柔道家の夢を叶えさせて欲しい」 と懇請され、日本へ持ち帰って嘉納館長、岩崎総務部長、貝瀬道場指導部長にお願いして、個人ではなく組織を作ってから始めるようにとの嬉しいご快諾を頂戴して、日本マスターズ柔道協会を発足させたものである。 その発会式の興奮も忘れ難い。故郷佐賀の先輩今泉正隆元警視総監にお願いして、会場をグランドアーク半蔵門に設定、上記お三方をはじめ当時大病癒えたばかりの故橋本龍太郎総理大臣など武道に関わりある政・官・財…各界の錚々たる名士に集まって頂き、協会の発足を祝って頂いたことはその後の当協会の発展運営の礎として誇るべき金字塔であり、小生の人生至高の思い出である。 世界・日本マスターズ大会の思い出は更に尽きない。本稿の字数に限りあるので、機会あればその機に譲らざるを得ないが、ここでは世界大会での強烈な印象を留めることとしたい。1.第1回カナダウェランドでは初めての大会のため、参加者全員が緊張していたので、夫々収穫大であり、試合は必死で全員持てる力を出し切り、出場者十人中金4、銀4、銅2 の成績だった。さらに新鮮な驚きは、形の部の出場者がわが方からは、佐藤勝志・椎木宗道組の柔の形のみなのに、外国人の出場組は多数であったこと。それまで聞いたこともない〝極メ式の形〟というのもありこれには全員ビックリ、帰国して大いに刺激を受け、発奮したものである。2.第5回講道館大会は、柔道発祥の講道館へのいわばサトガエリとばかり、世界より六百人が参加。迎える大和民族三百人。特にMR.KODOKAN 醍醐十段による 〝講道館の形〟 並びに英語での村田図書指導部長による「嘉納治五郎師範に学ぶ」のセミナーは外来のマスターズに生涯忘れ得ぬ感動を与えていただいた。曰く、〝今 長く夢見た講道館のタタミの上にいる!〟 〝今 最高の柔道の先生からレクチャーを受けている!〟…。3.第5回講道館大会は未曽有の大盛会で、大会委員長の傍ら、選手としてM8・73㎏にて金メダルを獲得。山下泰弘オリンピック・ゴールドメダリストより金メダルを胸にかけてもらって大感激!したのは今でも記憶に新しい。4.更に、第5回大会の大成功を享け、直後の役員会並びに会員総会に於いて、世界マスターズ柔道協会会長に選出されたが、次の第6回ウィーン大会まで。第5回にてのカナダ本部の大会運営、特に会計の明朗化に向けて、野口新会長とヴァンヘルダー前会長が訴訟人となりカナダ本部トロントにての裁判となり、リーマンショック前でお金と時間はタップリあり何事も経験とばかり、深夜の本部との電話会議、更には、単身乗り込み、カナダ協会本部を相手に裁判に臨んだ。結果、次の第6回ウイーン大会での会員総会にてウヤムヤとなるも、カナダにて雇用した弁護士費用と彼のウィーンへの交通費等は小生が負担。今では年金生活に入ってチョット…?? 否 否 いい経験をしました!5.以上の通り、世界マスターズ~日本マスターズの発足~運営~活動につき略述したが、残念ではあったが、当然のことながら、WMJCは12回大会を以て自滅し終了した。IJFに引き継がれることになり、それまで小生がノンビリと目標にしていた十個の金メダルに一個を残すのみとなっていたのが、最後のモントリオールで、漸くゴールド十個を獲得できた時は正に欣喜雀躍、実に天にも昇る境地でした!! 以上 世界・日本マスターズへの僕の関与の推移を述べましたが、振り返って、生まれ育った時代・環境・夢・背景、それらに伴う思考・姿勢・行動などなどに大きな運命とも宿命ともいうべき何物かの存在を感ぜざるを得ないこの頃です。それらの結果として必然的に時には偶然に今日に来ったものであり、齢八十二歳にして大満足です。日本マスターズの会員の諸兄姉に置かれても、今までと同様そして生きている限り自分なりの関与の仕方に向かって、柔道にマスターズにそして家庭に友人に豊かな人生作りに向かっていただくことを祈るや切。。