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概要

masters2018

20会報 <日本マスターズ柔道> 2018年1月9日フランスで学んだ柔道神奈川県 齋院 志津子《始まりは、ある日》 柔道を始めて、三十二年の歳月が流れている。夫の柔道仲間に誘われ、すぐに稽古に出かけた。三十五歳になってはいたが、やってみる、まずは挑戦の気持ちだった。受身を習い、腕は痣だらけ、でも乱取りは面白かった。投げられても投げられても、立ち上がる。がむしゃらにぶつかっては、投げられ続けた。強い高段者に挑むのが好きだ。 性格的には、好きなことは熱心だが、嫌いなことはしたがらない。どれだけ迷惑をかけたことだろう。受身があまり好きではない。初段を取ってから、その大切さに気付く。今では、受身を嫌がる子に「そうだよね」とうなずき、「だけど大事だよ。怪我をしないようにやってみようね」と諭している。 柔道に「形」があることを知ったのも初段の試験を受けた時だった。この「形」も、初めは戸惑うばかりで試験後に続けることはなかった。五十歳の時に、製本の勉強のためにひとり、スイスに三ヶ月間滞在した。柔道は女子四段になっていた。その時、スイスの「形合宿」に招待された。なんとその時、白帯の人たちも七つある「形」をすべて学んでいた。私は愕然として、スイス人に教えてもらった。日本で柔道をしている人間として、ひとつくらいは、きちんと教えられるようにならなくては恥ずかしいと思った。 この気持ちで始めたのが「柔の形」だった。目標を立て、やる気を起こさなくてはならない。県大会、関東、全国大会へと進む。相方の松永さんは、辛抱強く育ててくれた。二〇〇四年ウィーンで行われた、第六回世界マスターズ柔道選手権大会への参加もあった。初めての世界で「君が代」を表彰台で聞いた。稽古の日々を想い浮かべ、しみじみといい曲だと思えた。全国大会は四度の挑戦。しかし、優勝の一歩手前に留まった。十数年この「柔の形」に取り組み、優勝の先にある事々に想いを馳せた。自然と一体になる呼吸、相方を信じ、二人で作り上げる形の奥深さに、今でも魅せられている。人格も出てしまう「形」、まずは人間修行も必要となる。この問題は一生の課題でもある。《フランス、ブレスト市へ》―柔道で繋がる世界― 講道館で行われる夏期講習会に通うこと二十年、「形」を学ぶために世界各国からの参加者も多い。そこで知り合ったスイス人のリリアン宅に三ヶ月間お世話になった。またフランスのブレスト市に住むルビアン・美和子さんと出会えたのもこの講習会だ。 三年前、日本の柔道界は騒がしかった。町道場に所属する私まで。そのモヤモヤ感は拭えなかった。柔道って一体…。私は何を目指せばいいのだろうと迷いの中にいた。そんな時、日仏会館でフランス柔道協会のミッシェル・ブルース氏の「フランスにおける柔道は、もはや国技である」という講演会があり、聞きに行った。「フランス柔道の歴史から、ここまでに育った経営戦略」とわかりやすい内容だった。私の質問にもきちんと対応して頂き、ご自身で不明なところは後日と、メルアドを教えて頂く。この眼でフランスの柔道を見てみたくなった。 二〇一四年五月一度目のブレストへ。好奇心と無鉄砲さは持ち続けている。 六十万と言われる柔道人口は、何がそのようにさせるのか?国内においてもだが、他の道場の稽古を参考にして、よいところは取り入れて行けるといい。日本は本家だが、他国から学ぶのも悪いことではない。 ルビアン・美和子さんはブレスト市の中心地で、ご主人と二人で修道館という道場を開いている。パリから西へ600キロ、軍港のある町だ。人口十四万人、そこに七つの柔道場があり、生徒は二百人から三百人、新しい所は百二十人だと聞く。指導者は柔道で生活が成り立つ。六歳から十一歳が、柔道人口の七〇%、いかに子ども達の多くが柔道に取り組んでいるかが伺える。 私は仕事としている製本術と、この子ども達の指導方法を学ぶために、ブレスト滞在を決めた。資金を作り、一軒家の提供を受け、再度一カ月間、この修道館で学ばせて頂くことになった。《子供たちの稽古風景》 はじまりは、きちんと座礼をする。百三十畳ある広い道場だ。ウオーミングアップのランニングは、円になり足を開いて座り、その間を順番に走る。次は片足跳び右・左。三つ目は、両足を閉じて座り、両足跳び。高さを加え低い馬になり両足ジャンプ。ワイワイ言いながら励まし合い、協力の精神も学ぶ。次は二人組となり、一人は寝転び、両手を引っ張り、足を引っ張る。こうして足腰を鍛えている。また、横転がりは、足と頭を交互にしてお互いに足を持ち、移動する。でんぐり返しの二人組もあった。 今度は三人組となり、二人は馬になり前進。その上に一人は乗り、落ちないようにバランスを取る。危なそうな時は補助の手が。この一人馬もある。上の子は横向きでバランスを取る。四十分近くこのような体幹を付けるトレーニングだった。 この日は寝技の指導があり、入り方、抑え方を何度も稽古していた。ある日は立技をひとつ。崩しから正確な掛けを繰り返していた。最後にいくつかのプログラムがあり「何がしたい?」と問いかける。この所「すもう」は人気らしい。チョークで円を描き、土俵とする。上級生が行司役を担い、勝ち抜き戦となる。子ども達のクラスは週に二回。時間は集中の切れない一時間だった。 柔道の広がりの一つとして、近隣の小学生の体験を実施している。日本の小学一年と幼稚園年長のクラスが一組ずつ先生と父母に付き添われ、月に四回の体験を受けていた。また小児科医たちも、柔道は身体と心の成長に適していると勧める。カラフルな帯を締めた子供たちは楽しそうだった。 子供の試合に付いてだが、試合数は少ない。寝技だけの試合にも