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概要

masters2018

会報 <日本マスターズ柔道> 2018年1月9日17と勧められ、第十一回講道館大会に私も含め部員八名で個人戦に参加させて頂きました。 初めてとなったマスターズの個人戦は、年齢、体重別で行われる為、勝ち負けの結果は別として同年代の選手と真剣勝負が出来るとともに、交流が広がりとても魅力ある大会でした。また、八十歳を超える選手が真剣に試合に臨む姿を拝見し感銘を受けました。参加した部員も久しぶりの緊張感と達成感で「また来年も出場したい。」と言葉を残してくれ、以来、自衛隊柔道部の恒例となり毎年参加しております。 私は、現在、小・中学生の指導に加え自衛隊の稽古等忙しい毎日を送っておりますが、大変で苦痛だと思ったことは一度もありません。それは、五歳から始めた柔道を心から愛しているということと、マスターズ柔道大会に目標を定めて頑張れるからです。あの高齢の選手の試合で感銘を受けたことを決して忘れることなく、「生涯現役」の言葉を胸に今後も努力していきたいと思います。M9での優勝目指して頑張るぞ!大阪府 持永光久(M8・60㎏) マスターズ柔道大会への参加は白浜大会が二回目です。そもそも柔道を再会したのも、六年前(二〇一一年)に三度目の東京赴任になった折、大学柔道部の後輩である南さん(丸の内柔道倶楽部)に誘われたのが切っ掛けでした。技量の乏しい私を、なぜ?と思いましたが、長年の水泳で若干体力に自信がありましたことと、「受け身だけでも」との南氏の甘い言葉に?押されて、学生時代以来の稽古を始めた次第です。 縁あって三菱養和会思斉館で稽古をさせていただきました。勿論皆様実力者揃いでしたが、初心者程度の私をご指導くださり、稽古相手にもなっていただき、少し上達したように思えました。稽古後の先輩諸兄との喫茶・談論も稽古とセットで楽しいひと時でした。 しかし、二〇一五年三月をもちまして勤務先を任期満了で退職いたし、居を構えていました大阪へ戻ることになりました。三年間ご指導くださった先輩諸兄、また慣れ親しんだ思斉館との別れは後ろ髪がひかれる思いでした。 大阪へ戻り一か月程経って、講道館大阪国際柔道センターを訪れ、稽古を再開いたしました。ここで思斉館とはまた違った個性の先輩諸兄に出会い、教えを乞い週に二回程度、時期により三回程度稽古をいたしています。稽古をしない日には水泳と水中トレーニングで体力増強と体調維持に努めています。 私がマスターズに出場したのは、東京を離れて会えていない皆様に、マスターズ会場で会えるのではとの思いがあったからです。郷里佐賀の嬉野大会では初戦敗退でしたが、再会できた喜びが残りました。佐賀市、城南中学の同期生で佐賀県柔道協会会長の中島様とも半世紀ぶりに会えました。二〇一六年の大会は稽古中の骨折でエントリー後不参加となりましたが、白浜大会では銅メタルを頂きました。次の松山大会は仕事の思い出の場所でもあります。M9で優勝を目指して稽古に励み続けます。ニュージーランド柔道紀行  ― 南島ダニディン市道場と北島オークランド市リトルウッド氏の道場を訪問して―埼玉県 勝呂 孝(M10・60㎏) 平成二十九年三月初旬、NZ南北両島の柔道の友人を久しぶりに訪ねて、彼らの活躍ぶりを見聞した。彼らを通して同国の柔道の現状をお伝えしたい。 まず、南島南東端のダニディン市(人口十二万の地方都市)の道場である。道場主はロスオリンピック時のNZナショナルコーチを務めた古い友人である。PCで連絡を取りあってはいたが、実に三十四年ぶりの再会である。彼は私より二歳年上の七十九歳、ずいぶん太ったが、私はガリガリにやせた。お互いに年齢だけは重ねあった。 彼が率いる柔道クラブは以前のところから二、三度引っ越している。稽古は週に三日ほどで、青少年中心(約三十名)の日と、一般の部(約十名)の日、そしてその混合日があり、私が行ったのは混合日で、オタゴ大学の学生も来ていた。子供を車で送りがてら来ている母親たちも、終始笑顔で見学していたのが印象的であった。 道場の正面には、日の丸とNZの国旗が掲げられ、参加者は皆、礼法を守り、きちんとしつけられている様子であった。私は道場主に頼まれて嘉納師範の写真を贈呈した。今頃は正面に飾られ、稽古を見下ろしていることだろう。 次は、北島オークランド市のリックリトルウッド氏の道場である。リック氏はミュンヘンオリンピックのNZ柔道選手で、奥様は日本人、我らマスターズ柔道の地方理事でもある。年に数回、奥様同伴で広い太平洋を南北に往復している。 市内の中心街、クイーンストリートの一角に武道店も開き、さらにその隣に「たぬき」と日本語で書かれた居酒屋を二軒経営している。その他、市内に数件のビルディングも所有するなどかなりのやり手である。 自宅に道場を構え、週三日ほど稽古を行っている。門弟多数、NZ人と結婚した日本女性もい