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概要

masters2017

32会報<日本マスターズ柔道>2017年1月31日仕上げることができるか、それこそが出場選手にとっての「真の戦い」であると私は考えています。そういった意味では、今回、充分に仕上げて試合に臨むことができたように感じます。お陰様で四試合全てを一本で優勝することができましたが、試合後はだらけた生活を送っており自分自身との「負け戦」が続いております。最後に、今回の出場に際し多くの方に声を掛けて頂き声援を送って頂けました。何より娘の巴(ともえ)に試合を見せることができたのは至上の喜びです。早くこの「負け戦」から脱し、次の戦いに備えたいと思っています。一年を頑張った総決算、それがマスターズ大会野口修企業に属しての実業団柔道から現役を退き十数年後、子供たちに柔道を教える機会があり、久方ぶりに柔道着に袖を通したのが縁で再び柔道を志すことになり、初めてのマスターズ大会への参加は第四回兵庫大会で当時四十二歳でした。(M3・73kg級に出場)当時は、自宅での軽微な筋トレやジョギングを行っていたのと、現役時代に培った貯金?でそれなりには戦えるだろうと安易に思っての出場でしたが、現実は厳しく予選リーグで敢え無く敗退しました。(当時は予選リーグと決勝トーナメントがありました)私はこの時の敗戦で若かりし頃に置き忘れていた闘争心に火が点き、「来年は絶対に優勝してやるっ!!」との一念で、自身が勤める会社柔道部での稽古のほか、関係者に紹介いただいた高校や大学への出稽古、さらにはジムでの筋トレで自分自身を追い込み鍛え直しました。そうして迎えた第五回秋田大会(前回と同じM3・73kg級に出場)。試合直前の足の怪我で不安材料を抱えての出場ではありましたが、一年間頑張ってきたことを思い出しながら試合に挑んだ結果、辛うじて金メダルを獲得することができました。気を良くして、翌年の第六回大分大会は、連覇を果たすべく今まで以上に気合を入れて稽古に励んでおりましたが、これまた試合直前に左肩靭帯を損傷するというアクシデントに見舞われ、絶望的ではありましたが、一年間この大会のために費やした時間のことを考えると棄権することなど考えられず強行出場しました。結果は、試合中に肩に激痛が走り一回戦敗退に終わりました。その後、私とマスターズ大会との関係は、仕事の都合やその他の諸事情で毎年出場できないのが実情ですが、昨年に行われた第十三回講道館大会はM4・73kg級に出場し、金メダルを獲得することができましまた。また、私が所属する会社柔道部からは、同部師範の山城武史氏(七十三歳)と監督の甲能武氏(五十一歳)も出場しており、山城師範は第七回新潟大会にM8・無差別級で金メダル、第十一回講道館大会団体戦で同志社大OBチームとして出場し銅メダルを獲得、甲能氏は第八回千葉大会をM4・無差別級、第九回山口大会をM4・81kg級でそれぞれ金メダルを獲得しています。(昔は山城師範には体を張って私も甲能氏もかなり鍛えられました)私は、このマスターズ大会に出場(或いは目標と)することによって大きなメリットが二つあると考えています。一つは、素晴らしい柔道家との良き出逢いです。会場に足を運ぶと、凛とした姿で多くの先生方が元気よく試合しているのを目の当たりにすると、「五十一歳の自分はまだまだ甘いなぁ」と気づかせていただきます。もう一つは、この大会を目標とすることで年間を通して頑張り通す大義名分ができることです。結果、健康増進とともに心身が若々しくなれるからです。勝つことが全てではありませんが、大会に出場する以上は金メダルを獲得することが最大の目標であり、日々の稽古やトレーニングを行う最高の動機ともなります。第二次現役時代の一年間頑張った総決算の発表の場として、できる限りマスターズ大会に出場したいと思います。『理想を見つつ現実を離れず、しかも現実を一歩ずつ向上しなければならぬ。永遠を仰ぎつつ現在を離れず、しかも現在を一歩ずつ向上しなければならぬ。焦ってはいけない、油断をしてはいけない。突破!!突破!!全てに現状を突破して一路向上すべし』最後に、日本マスターズ柔道協会の今後益々のご発展と会員皆様のご健康とご活躍を心よりお祈りいたしております。・訃報第一回設立大会(浜北)の開催において、当協会が大変お世話になった高柳喜一氏(全日本柔道連盟顧問)が一月五日ご逝去されました。謹んで哀悼の意をささげます。なお、ご子息の高柳依正氏は丸の内柔道倶楽部において様々な大会に出場するなど活躍しておられます。