ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

masters2017

28会報<日本マスターズ柔道>2017年1月31日柔道指導者東京都一言力「柔道技の研究」、「冒険心」と続き三回目を投稿させて頂き、今回は「柔道指導者」を思い浮かべました。二〇一六年日本ベテランズ国際柔道大会(第十三回日本マスターズ柔道大会)は講道館でしたが、過去を振り返ると地方での大会が多く、それらの風土、環境は感慨深い上に新鮮な事柄を多く目にし、少年少女をはじめこれから柔道を始める人々への指導では、それら柔道技の研究、冒険心、心豊かな経験が大いに役立つ物と考えます。柔道の試合ルールが変われば又、技も変化し、柔道もより進化します。柔道の指導も先達者、先駆者として多くを学び取り、再び指導に役立てていけば、柔道のみならず社会生活においても大いに役立つのではないでしょうか。柔道を始めたきっかけは数々有るでしょうが、各々の初心を忘れず大いに楽しんで頂き、その中でも代表選手として大会出場を考えたならば、強化選手ではなく、その上を目指せばと思います。とりあえずは先ず第一歩です。柔道の試合ルールが変更されて行くその時々に、柔道技が進化して行く中で、他のスポーツの要素も取り入れて行けば、ますます柔道が進化して行き、ひいてはスポーツ全般がより進化して行くのではと考えます。日本ベテランズ柔道大会(日本マスターズ柔道大会)では、これから第十四回、十五回と続き、国際大会も開催され、これらの大会に出場機会が有れば、試合のみならず多くの参加者、地方の人々との交流で新たな世界が広がるでしょう。良い情報は身近な仲間が有ってこそ、本冊子ではなかなか面白い、良い情報が載っているとの思いで大会出場者のみならず未出場者にも見開いて頂き、今後の柔道関係の展開に少しでも役立てて頂ければと考えます。今後、多くの柔道愛好者と共に冊子の多いなる活躍を期待します。第十三回東京大会について愛媛県川野英二日本マスターズ柔道協会の皆様におかれましてはますますご清祥のことと存じます。今回の東京大会は、私自身四回目のマスターズ大会でした。大会の一ヶ月前までは調子もよく国体選手の合宿や母校の松山大学への出稽古等で、普段落としている六キロほどの減量もスムースに進んでいました・・・。しかし、順調な時ほど注意しなければならないまさかの怪我をしてしまい、柔道人生において過去最低に近いほどの体の状態で当日を迎えてしまいました。なんとか結果は出せましたが、怪我の回復も遅く、自分が思っているほど若くはないのかなと感じる時間でした(笑)現在私は、町道場の指導をしながら、C級審判とC指導員を取得し、自分のできる柔道への恩返し、そして次世代の子供たちの指導に奔走しております。マスターズ大会への参加回数が増えるごとに沢山の柔道家との出会いがあり、試合では敵かもしれませんが、試合が終われば一柔道家として様々な交流ができ本当に良い大会だと毎回感じています。二〇一七年に愛媛県で国民体育大会が開催されることもあり、今大会では国体選手と一緒の愛媛県のイメージアップキャラクターの『みきゃん』の刺繍が入った柔道着で出場しました。柔道着について声をかけていただいたり、少しは愛媛国体の宣伝もできたのかなと思います。(笑)お時間のある方は国体を見にぜひ愛媛県にお越しください。最後になりましたが、日本マスターズ柔道協会の益々の発展と会員皆様のご健康とご活躍をお祈りいたします。私と柔道愛知県奈良澄私が柔道を始めたのは、二十歳の時である。私が入社したのは、一部上場の会社で、野球も強く、全国大会にも出場し、二位になった事もある企業でした。初めは野球をやるつもりでいたのですが、配属された寮の部屋が柔道部の人が多くいる部屋で、どうやら入社試験を受けた時からすでに、柔道部に入れられるように決められていたみたいであった。というのも入社まで私の面倒を見てくれた方が、剣道四段で、柔道部に入部する人を探して欲しいと頼まれていたようでした。会社としても、当時の私の体は、身長一七〇cm、体重六十五キロで、この頃(昭和三十年)としてはまあ大きい方であったし、野球なら三十歳くらいで出来なくなるが、柔道なら生涯できるだろうと、柔道部に入部する部屋に私を配属した様である。柔道は、会社の社技であり、入った部屋は、二、三段の人ばかりであった。まさか新入社員できたのが、未経験者とは思っ