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概要

masters2017

26会報<日本マスターズ柔道>2017年1月31日へのお誘いを受けた。最初の講義は「武道の品格」であった。武道の品格とは「武技の修練を通して身につける人としての在り方の美のこと。その美は知・徳・体・情・意という背景からにじみ出て漂い、薫るものである」との指導であった。私はこの言葉に感動し柔道を続ける意義を見出した。これから私は「武道の品格」を備えた人間に成長することを目的に柔道修行を続けいきたい。マスターズ柔道のこころ神奈川県福盛田立明今回のマスターズ柔道協会会報への投稿を書くことは、自己の生涯とマスターズ柔道との関わりを改めて考える良い機会だと感謝しています。私にとってマスターズ柔道は、仲間と一緒にこころを温める時間と共に、新しい友人を得る素晴らし出会いの場となっています。凛とした空気の中にも和気あいあいと稽古する二金会(講道館)は、我家に帰ったように心が癒されます。稽古で流す汗や鼓動の高鳴りに、健康維持・生涯柔道の喜びを実感しています。また、一風呂浴びた後の〝じぇびあん〟は、反省・乾杯・激励が続く実に楽しい第二道場と言えます。久しぶりに会う友人や海外からの参加者との交流・交歓も、何にも代えがたく嬉しいひと時です。マスターズ柔道大会を振り返ると、まさに光陰矢の如し、実に様々な出来事が昨日のように思い出されます。記憶とメモに沿って参加した世界・日本マスターズ大会を年度順に整理して見ます。(1)二〇〇二年五月、日本マスーズ柔道協会の発足式が東京麹町で開催され、野口宏水初代マスターズ会長と共に、橋本(元)総理大臣を特別ゲストとし、多くの来賓を迎えた祝賀会に参加しました。続き、私の世界挑戦は、二〇〇二年の第四回世界マスターズ北アイルランド大会への初参加に始まり、二〇〇八年第十回ブリュッセルまでで、七回連続出場したことになります。★二〇〇二年六月「第4回世界マスターズ柔道(ロンドンデリー)大会」★二〇〇三年六月「第5回世界マスターズ(講道館)大会」★二〇〇四年六月「第6回世界マスターズ柔道(ウイーン)大会」★二〇〇五年六月「第7回世界マスターズ柔道(ミッソー)大会」★二〇〇六年六月「第8回世界マスターズ柔道(ツール)大会」★二〇〇七年六月「第9回世界マスターズ柔道(サンパウロ)大会」。★二〇〇八年六月「第10回世界マスターズ柔道(ブルッセル)大会」(2)なお、国内で開催となった日本マスターズ柔道大会は、二〇〇四年第一回静岡大会を皮切りに、二〇一六年第十三回講道館大会まで、十三回連続出場したことになります。それぞれのマスターズ大会には多くの深い思い出があり、こうして大会リストを作っている間にも様々な風景とともに、エピソードを思い出し感動が絶えない気分となります。言葉・習慣・食事など何もかも初めての異国に出掛け、そして柔道の試合をするのは不安・心配がありましたが、終わってみると日本と柔道の素晴らしさを改めて確信することが出来たという世界遠征・体験でした。★初めての海外遠征の第4回ロンドンデリー大会(二〇〇二年六月)は、世界マスターズへの挑戦元年となりました。大きな緊張の中、無我夢中の試合、万国旗に囲まれる表彰台、日本国の国歌が吹奏される中、首にかけられた銀メダルに湧く感動は生涯忘れることはないでしょう。一方、緊張から解放された後の歓迎会は、実に楽しいエピソード。アイルランド音楽が演奏される中、現地の柔道家と酌み交わす酒肴や柔道談義は、時間を忘れた至福の時間。音楽に乗って踊ったアイリッシュ・ダンスも、昨日の様にこころの中が舞う気分です。★遠方より友も来る。第6回ウイーン(二〇〇四年六月)大会後、アンデルセン童話の国デンマークを訪問。小川郷太郎大使(夫妻)の暖かい歓迎に感謝。現地での交流・試合に続き、子供達を交えた懇親会。折り鶴・折り紙をプレゼントし合い、おとぎ国の白夜が平和にいつまでも続くことを願いました。★ナイアガラ瀑布で健康と長寿を祈願。ヤンキースタジアムで松井秀喜の雄姿・エンパイアーステイトビル展望台より眼下の大ニューヨークを展望。椎名道場の訪問など、多くの目的と楽しみを持って第7回ミッソー大会(カナダ、二〇〇五年六月)に参加(願望が叶った)しました。ブルックリンにある椎名道場の椎名清先生は、日大(柔道部)卒業後、間もなくニューヨークへ柔道指導者として赴任し、椎名道場を設立。半世紀以上に渡り日本柔道の普及・指導者の育成に専念され、多くの五輪・世界選手権のメダリストを輩出されました。(3)▼第8回ツール大会(二〇〇六年六月)は日本柔道の素晴らしさを欧州で再認識した大会でした。勝呂対興梠戦の巴投げの攻防に場内は大きな拍手・喝采で称賛。翌朝の現地新聞のトップは