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概要

masters2017

会報<日本マスターズ柔道>2017年1月31日25弱難易などの起伏があるにしても、修行に終わりはない。」(津軽のやわら―本覚克己流を読む―水星舎2009あとがきより)享年九十歳。太田尚充先生の長い修業が今、ここに成就したのです。合掌。小西正弘さんを悼む千葉県五十嵐徳英今年(二〇一六年)二月六日、皆さんに愛された日本マスターズ柔道協会の代表理事の小西正弘さんが逝去されました。これまで柔道を通じ、マスターズ柔道大会にも共に参加した友達として、一文をよせさせて頂きます。小西さんとは、自分が高校から柔道を始め、二年生の時に一年下で入部してきて以来の、五〇年を超える年月を柔道を通じ交流してきました。その中で共に多くの思い出を残してきましたが、中でも昭和五十八年、お互いに四段に昇段して間もなく、東京都柔道高段者大会で対戦したことが思い出されます。自分は豊島区より申し込み、試合会場に着いたら、対戦相手が小西正弘(江戸川からの出場)とあり、お互いにビックリしました。その試合はお互い全力を出し合い引き分けでしたが、山形の田舎の工業高校(鶴岡工業高校)で高校時代に一緒に修行した者同士が、講道館の大道場の上で試合をすることになるとは、柔道部のOB会でその後の語り草になりました。日本マスターズ柔道大会への参加は、共に第二回の埼玉上尾大会からで、その大会では、お互いに初出場ながら、メダルを獲得(写真はその時のものです)することが出来、その後マスターズ柔道大会に継続して出場するきっかけになりました。小西さんは最近になり体調を崩されることが多くなり、日本マスターズ第十二回(佐賀・嬉野)大会には、試合出場を申し込みはしましたが、事前に足を傷め欠場し、現地には自分(五十嵐)の応援団のような形で参加され、九州で一緒に柔道三昧の時間を楽しみました。年が明け今年は、体調を整え全国高段者大会にも出場すると言い、一月の二金会にも参加し、亡くなられた日も、午前中はご自宅の周りをトレーニングの為走られ、元気にして居られたとの由で、まさに急逝でした。今まで、現役で長い間(勤め先を辞められたのは平成二十七年十月)活躍して来られ、これから柔道だろうが何だろうが自分の好きなことを、好きな時間に取り組み出来ると、意気盛んにしていたのが残念でなりません。「残った我々が、小西さんの分まで、精一杯マスターズ柔道に取り組みますので見ていて下さい」と申し上げ、筆を置きたいと思います。合掌第一三回日本マスターズ柔道大会(東京)を終えて埼玉県小池健三十二回目の出場となった今年は形と個人戦に出場した。一、個人戦(M8・81kg)=銅メダル。・一回戦は元警視庁機動隊武道小隊出身の片桐且元先生(優勢勝ち)・二回戦は初対面の町田敏雄先生(一本勝ち)・準決勝は同じく初対面の松山幸二先生(優勢負け)試合の相手をして頂いた先生に感謝である。次回大会も沢山練習を重ねて誠実に試合に臨んでいきたいと思う。二、形競技(古式の形)=銀メダル(取=清家春夫先生受=小池健三)四月に古式の形の稽古中、「体」で前方回転受身をとった際に、右膝内側の靱帯痛めた。今大会は右膝の痛みに耐えながらの出場であったが、取の清家先生のリードに、私は受としての防御の役割(理合)に集中することだけに専念した。清家先生から怪我をしないことも重要だと指導をうけていたにもかかわらず、大会前に怪我をしてしまった。今回の銀メダルは醍醐十段・清家先生・口伝会の先生方の指導の賜物と心から感謝している。三、反省点栃木県の内藤純先生の計らいにより、昭徳館B(栃木県)チームの副将として団体戦に出場させて頂くことになっていたにもかかわらず、大会当日、私は試合開始時間に遅れるというまさかの過ちをやってしまった。大会関係の皆さま、審判員の皆さま、内藤先生、昭徳館B(栃木県)チーム皆さま、対戦相手だった柔錬会Bの皆さまに紙面をお借りし心からお詫び申し上げます。今大会で、私は団体戦の試合時間に遅れたこと、古式の形では大会前に怪我したことなど自己管理の甘さから、各先生・関係者に迷惑を掛けしまい、「柔道を続けようか」と迷っていた。そんな気持ちの折、講道館の村田直樹先生から「武道懇談会」