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概要

masters2017

18会報<日本マスターズ柔道>2017年1月31日居大志・武石光陽の両君は、私の同志社指導五年間時代のいわば教え子。四十歳代の尾原弘恭君はその時共に指導に携わっていて現在も監督。五十歳代の小西康夫君は京阪に入社した奥村茂之君の同期と云う間柄。この四名は、いずれも個人戦で優勝を果たしています。かようにいくつもの繋がりや経緯から、同志社WRJCがチーム結成され、三度出場しました。考えてみれば、同じ大学の柔道部OBが三十歳~七十歳までの世代を超え一つのチーム結成は、同志社大OBチームが初めてかと。これは後輩である現役部員にも何かを伝えることができる意義あることだったと思っています。中でも、かの神奈川県教員クラブチームとの一戦は、良き思い出。試合を前に円陣を組み作戦会議。強力な布陣の相手チームの前の三名に対しては…「負けても良いが決して一本負けだけはするな。同時に、誰か一人は必ず引き分けに持ち込め、要は失点を二点に留めよ)。さすれば後の二人で二点を取り、内容差で勝つ、これしか勝てない」と、各人に自分の役割を認識させました。結果、前の二人は、技有と有効による負けに留め、一本負けを回避。中堅は、相手の猛攻を防ぎきり、引分け。これで、会場の雰囲気がガラリと変わり、当に、狙い通りの展開。副将が期待通り一本勝ち。大将戦まで縺れこむことに。大将の心得は、勝ちゲームでは無理しない。チャンスがあれば取る。負けゲームでは何としても勝ちに行く(同点・逆転に持ち込む」です。これは、山鹿中学・高校時代の恩師で名伯楽の吉里武正先生の教えです。大将戦では、指導差二の僅差勝ち。結果、二対二ながら、一本勝ちが優先され、同志社チームの勝ち。これには、会場がどよめきました。先鋒・高橋利光、次鋒・尾原弘恭、中堅・長谷川正仁、副・浅田三男、大将・山城武史、選手一人一がそれぞれ自分の役割を認識し、実戦出来たことが勝因。作戦通りの勝利は、同時にチームワークの勝利で、選手も応援席も満足。私も団体戦出場は、会社チームを三十五歳で引退以来三十六年振り。この試合で、団体戦の妙味を改めて味わうことが出来、同時にチームワークの大切さも、尾原同志社大監督共々再認識いたしました。最後に日本マスターズ柔道協会の今後増々のご発展を心より祈念いたします。M―7になりました。理事平井敏雄(兵庫県)平成二十八年新年早々還暦を迎えた。年齢区分でM―7になって、やっとマスターズの仲間入りをした気分になった。年頭に三つの目標をたてた。一つ目は五大力さん150kg力餅奉納で歴代最高齢横綱になる事。二月二十三日京都醍醐寺。練習では170kgを五分間耐えた。自信をもって臨んだが前日の雨で湿気を帯び、重たく、挙上中崩れた。あえなく撃沈。二つ目は同じく年齢区分が上がった全日本マスターズパワー大会で優勝する事。五月二十九日明石。記録は落ちるが慎重に試技を重ね納得の二位。県表彰のマスターズ賞も獲得した。三つ目はM―7、一年生となる日本マスターズ柔道大会で優勝する事。しかし、四年前に両膝半月板損傷で正座すら出来ない。一年前に右手首の手術で握力が落ちた。半年前から股関節痛に悩まされ、三つの病院を周り、MRI検査をしても原因は解らなかった。痛みで重心位置が定まらない状態になった。結果、技が出せない。骨折しても出場したが今回は事情が違う柔道ができないのだ。随分悩んだが今ある使える力で最善を尽くすことにした。今のルールでは、組手と強い体の軸が重要。上体は問題ないので、前腕筋、二頭筋を鍛錬。重心がとれない代わりに動ける体、心肺機能を高めた。ベンチは120kgまで回復し、五試合は動ける体を作った。六月十九日講道館。一回戦、優勢勝。二回戦、どうしても技が出ない、旗判定で負けた。悔しさより、この先柔道が出来るのかが不安になった。大会後、気持ちも体も落ち込んだ。柔道をとったら、ただの飲んべェ親父だ。すがる思いで恵柔館坂井道場に顔をだした。そこには大矢八平、八段がおられた。先生が還暦の当時私は五十歳、乱取りでことごとく投げられたものだ。パワーの私に先生は柳の木の枝のような受けと、身のこなしで翻弄された。今、先生はいつものとおり淡々と乱取りをされている。日常であり、自然体であった。¬不将不逆」の言葉が浮かんだ。過去を悔やまず将来の取り越し苦労をしない。という心構え「今できることを全力でやれ」と先生の姿で教えられた。M―7になりました。まだまだ、ひょっ子です。マスターズの皆様、ご指導よろしくお願いします。ありがとうございました。