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概要

masters2017

会報<日本マスターズ柔道>2017年1月31日17私にとっての日本マスターズ柔道大会とは福岡県前澤一吉私は、小学校の低学年から近所にあった中原共和会道場で柔道を始めさせていただき、かれこれ半世紀の歳月が過ぎました。決して誇らしい柔道一直線の人生を送った訳ではないため、日本マスターズ柔道大会に参加される各年代各階級の猛者の先生方と同じ土俵に上がれる機会を作っていただいたことについて誠に感謝しています。私は中学校から大学及び社会人で他の競技(野球、アメリカンフットボール、パワーリフティングなど)をしていた影響で本格的に柔道をする機会は恵まれませんでした。しかし、柔道が好きなので、月一回の程度ですが稽古を継続していました。その結果、他の競技においてもある程度の成果を得ることが出来ました。これは、柔道により培った、強い精神力、屈強な身体及び安定した体幹バランスなどを手に入れることが影響しているからだと信じています。また、本格的に柔道を再開したきっかけは、息子が三歳から吉田道場に入門し、私もお手伝い程度ですが道着の袖を通す機会を得ました。その後、息子が小学校入学を機に国士舘柔道教室に移籍し私も一緒に入門しました。この教室の先輩方が積極的に試合に臨んでいる姿を見て、本格的に大会(紅白試合、高段者大会、講道館月次試合、地域大会など)や昇段審査に挑むことになりました。その間、転勤により岐阜県各務ヶ原柔道協会に所属し、現在は福岡県の野間柔道クラブで稽古を続けています。さて、日本マスターズ柔道大会ですが第九回の千葉大会から六年連続出場させていただいています。肝心の成績ですが、第八回千葉大会、第九回山口大会、第十二回福岡大会と三大会で第三位となり私にとっては大変満足の行く結果だと思います。今後は、「優勝を目指して」と言いたいとこですが、末永く健康で参加していきたいと思います。最後に、私の家族は決して柔道一家という訳ではなく、たまたまですが、私の父、妻の父、私、息子と柔道経験者(黒帯)なので、出来れば孫(まだいませんが)が黒帯になり、三世代で一緒に柔道を続けていけたら幸いと思っています。マスターズ大会と同志社WRJC同志社WRJC山城武史今般、同志社大学柔道部同期で協会の広報担当理事の内藤光伸氏から、標記タイトルで会報への投稿要請を受け、記録と記憶からしたためてみました。私は会社(京阪電気鉄道)を平成十六年三月末定年退職。同志社大学柔道部後援会(OB会)の要請を受け、同年四月から平成二十一年三月末まで五年間の約束で、母校の大学柔道部で後進のs指導のお手伝いをしました。マスターズ大会との出会いは、平成二十一年九月第六回大分大会に会社柔道部の後輩、野口修君に誘われて初参加。この時、内藤氏は応援に来てくれました。翌年の平成二十二年第七回長岡大会には、前年の不本意な成績のリベンジを果たすべく、会社の後輩野口、初参加の甲能武の両君と三名で出場しました。(この両名はその後数回の優勝を果たしています。)この時内藤氏は、同期の栗田明氏と共に初参加、何と66kg級で優勝。これに刺激を受けた私も、無差別級で優勝できました。試合後脇腹に痛みを覚え、会場で応急措置。帰宅後、肋骨のヒビが判明。腰痛も発症し、歩行も困難に(今も通院中)。以後個人戦出場はありません。一方、内藤氏は、長岡大会の優勝で協会との関係が濃厚になり役員に就任。平成二十五年世界マスターズ(アブダビ)大会66kg級で優勝し、現在の活躍に至っています。同氏は団体戦参加の為に、同志社OBに依るチーム作りに奔走。大変な熱意と尽力で、漸くチームが結成され、平成二十六年第十一回東京大会で団体戦初出場となりました。チーム結成の折、大将(七十歳代)の人選に際し内藤氏の熱心な誘いに断りきれず、今回限りの約束で、家内の反対を押し切り出場を決意しました。当初反対していた家族も「最後の試合なら」と云う事で、妻子・孫ら総勢十名が、京都・大阪・静岡から参集し応援してくれました。有り難い反面プレッシャーでした。試合は思わぬ展開で、前年優勝の神奈川県教員クラブチームを破る殊勲で、チームは三位入賞。これで私のマスターズ大会は卒業(の筈)でした。翌平成二十七年嬉野大会で、再び内藤氏の熱意に負け再び出場を決意。ところがこれには家内が「昨年、最後と云うから皆で応援にも行ったのに約束違反」と猛反対。これを何とか乗り越え、二回目の出場はベスト8。平成二十八年も、同志社柔道部百二十周年に花を添えたいとの同氏の意向もあり、結局、出ることになり、結果、団体戦には三回出場しました(家庭内?ご想像に任せます・笑い)。メンバーの内、三十歳代の寺