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概要

masters2017

12会報<日本マスターズ柔道>2017年1月31日「私と柔道」鹿児島県末吉貴彦左から2番目が筆者誠に僭越ではございますが、「私と柔道」と題しまして、簡単なお話をさせて頂きます。二○一四年九月二十日(土)と二十一日(日)に、日本ベテランズ国際柔道大会が開催されました。場所は東京の講道館。講道館と言えば皆さんご存じ、柔道の聖地ということで、国内外から約六百八十名もの柔道家が集い、型と試合で技を競い合いました。私は初日の個人戦、四十~四十四歳のクラスの100kg超級に出場し、お陰様で優勝することができました。まさか、自分が国際大会で優勝するなんて、夢にも思ってもいませんでした。また、翌年、二〇一五年佐賀大会では準優勝することができました。これもすべて、周りの皆さんの支えや励ましがあったからこそだと、感謝の念でいっぱいです。小学校五年生からはじめた柔道。鹿児島の「林修道館」が、私の柔道の原点となります。その柔道人生の中では、骨折や脱臼等のケガや、仕事のため、柔道から疎遠になりかけたこともありました。そういった柵を乗り越えて、すでに柔道を三十三年間も続けていることになります。段位は柔道五段です。現在は、学校法人池田学園の児童・生徒の指導者として、そして、鹿児島県柔道会館「造士館」で、月・水・金の週に三回、柔道修行に励んでおります。ところで、みなさんは、柔道を一言で表すとするならば、どのように表すでしょうか?外国の方々の中には、「柔道は哲学である」と言い表す人たちもいます。日本で生まれた柔道が、世界の人たちに認められ、尊敬されている。それだけでも、柔道を学ぶことは、大変誇りあることで、価値あることではないでしょうか。「精力善用」「自他共栄」、柔道の良い点を挙げればきりがありませんよね。これからも、「生涯柔道」を貫き通すとともに、職業柄(教職)、子供たちには、「夢を持ち続けることの大切さ」や「最後までやり抜くことの大切さ」を伝えられたらと考えております。最後になりましたが、「日本マスターズ柔道協会」の益々の発展を祈念いたしまして、簡単なお話とさせて頂きます。明道館チームここにあり東京都今里宏一郎左から2番目が筆者マスターズ柔道大会の醍醐味のひとつに団体戦がある。三十代から七十代各世代の五人がチームを組み、他の競技ではまねのできない試合が展開され楽しめる。そうではあるものの、チームの編成はやはり容易でなく、特に六十代七十代の選手を確保するのに苦労している。そんななか、私の所属する丸の内柔道倶楽部にはバリバリの六~七十代が多数顔を揃えていて、出身校や仕事の繋がりで多方面から声がかかっている。私も団体戦に出場したいと、欠員のあった福岡の明道館に売り込みチームに加えてもらった。幼少の頃から東京に住んで居てなんの縁もないのですが、私の出生地は福岡県八女市で、ずっと心の故郷として福岡繋がりを求めていたのが理由です。より強い絆で結ばれようと、大会前の四月福岡市を訪れ、明道館に一日入門させてもらった。明道館は福岡市中央区赤坂にあって由緒ある道場です。練習日は火木土で六時から少年の部が始まった。中央に大村館長がでんと構え号令をかけている。準備運動らしきものはなく、いきなり飛んだり跳ねたりと補強運動が小一時間も続いた。始まる前、「一緒にやりますか?」と誘われていたが、乱取りを二?三人してお茶を濁すつもりだったので断っておいてよかった。足腰立たなくなってしまう。八時頃から大人の部、仕事を終えてのやむおえぬ時間帯だ。厳しい条件のもと皆さん頑張っているなと自分の甘っちょろい姿勢に少し反省モード。明道館チームは佐賀大会では一回戦負けしてしまったが、東京大会ではなんと丸の内柔道倶楽部Bを下し三回戦まで進んだ。二〇一七年和歌山大会では、さらに上を目指して選手一同心を一つにしている。ご注目あれ。団体戦我が道場神奈川県齋院志津子左端が筆者いつの日か、石井道場でメンバーを揃え、団体戦に臨むこと